ある傭兵の記憶

 

ケロ、ケロケロケロ、リリリ…、ケロケロ…。
洗濯機から『初夏の田んぼの畦道』をイメージした脱水完了のアラームが鳴る。
波羅多 廉徒(ハラダ レンズ)はキーボードを打つ手を止め、洗濯機置き場のある無駄に広いバルコニーへ出た。
この使う宛のない広さのために、一○銀ほど相場より上乗せされた家賃を毎月払っている。
上京して一年、大学などとうに行っていない。
昼ドラだがレギュラーの役を掴み、毎週お茶の間に顔を出す立派な役者になった。
だがまだ足りない、レンズは本来制作を手掛けるつもりで役者になったのだ。
今書いている新しい台本は、演劇サークルで定期舞台公演を獲得するためのものだ。
TV出演を契機に劇団だけでなく芸能界にも人脈が伸びてきた。
向かうところ敵なしの機運だ。

昼ドラの物悲しいエンディングテーマを鼻歌で口ずさみながら洗濯物を干していると、階下の道路から話しかける者がいる。

「話を聞いてくれ」

洗濯を干す手を止め、廉徒は男の頭頂部をじっと見つめた。
男は仕立ての良いスーツ姿、直立不動で振り向きもしない。

「何してるの、そこで」

身形はきちんとしているが、どこかアンバランスな後ろ姿だ。
どこがアンバランスなのか口頭では言い表し難い。
敢えて言うなら、影の落ち具合かもしれない。
屈んでいるわけでもないのに、薄暗い影に覆われたように捉えどころがない。

「地獄に生まれた」

中年男性だが通りの良い声だ。
離れていても聞き取るのに苦はないが、話題が妙だ。

「…え?」

「この杏珠では、兵士は動物の腸にできた巨大な腫瘍として生命を得る」

男の声は三軒向こう隣りまで通るのだ。
芝居の経験者かもしれない。

「グロ」

「腫瘍がモルモット程の体長まで育つと、動物は手術で腫瘍を摘出され、健康を回復して食用の家畜に戻る」

「それ…食欲失せる」

「未熟な胎児は今度はガラスのビンに移され、薄暗い倉庫に並べられる」

廉徒は二十年ほど前に一世を風靡した、SF映画のワンシーンを思い起こしていた。
ちょうどこんなスーツ姿のエージェントも登場する。

「あの、撮影ですか?」

「三人の研究員が、八時間交替で絶えず生物兵器の発育を監視する」

「労働条件としては厳しいね。週休二日はほしい」

「一室に三百本の飼育ビンが並び、胎児それぞれの脳には電極が設置されている」

「胎教的な…?」

「この端子を通じて戦闘的な特性を育成する」

「もっといいことに利用すればいいのに」

「受精卵は匿名の両親から、多くは堕胎によって無償提供される」

ひょっとするとバラエティ番組『ぎっくりハメ連』の仕掛け人かもしれない。
話題の新人を標的に腰が抜けるほど驚く悪戯を仕掛け、リアクションを愉しむ番組だ。
年末には2時間枠で『ぎっくり累計』という総集編があり、名・珍場面集とともにその年のぎっくり腰回数をカウントする。
そうだとすると、視聴者が目を見張るような気の利いたリアクションをして、印象付けなければいけない。

「甲乙つけがたいな。堕ろせない場合の不幸というのもあるし」

むくむくと湧き出した欲目が裏目に出てPTAのようなコメントになってしまう。
やはり気取らず自然体が一番だ。

「したがって飼育ビンで育てられる胎児に親はいない」

「寂しいこと言う。遺伝子は親からもらったんだろ?」

「産声を上げると別の飼育室に移され、タイマーやセンサーによって制御された授乳・衛生機器が接続される」

「便利そう。育児オートメーション化」

「私は飼育ビンから摘出され、研究員の手で機器が設置されるまでの僅かな時間を、奇跡的に覚えていた」

「まさかありえん」

「それは恐らく、その感触が私の人生ではほぼこの一瞬に限られていたからだ」

「童貞かしら」

自然体になりすぎた。
放送できる言葉を選ばなければ、ボツになるかもしれない。

「だがある職員にこの話をすると、それはあり得ないと彼は言った」

「お。オレ、職員とハモったわ」

「研究員が飼育ビンから胎児を摘出する際は、感染を避けゴム手袋を着用するため、素手の体温の感触があったとするのは誤りだそうだ」

「そっちかよ」

「乳児の生育環境は、胎児期よりさらに劣悪だ」

「オムツ替えオートメーション化は、やっぱり劣悪?赤ん坊的に」

「成長に合わせ、様々な部位へ定期的に電流刺激を加え、より闘争本能が強く冷酷で指令に従順な兵士に育てる」

どうも雲行きがおかしい。
やはりぎっくりハメ連ではないかもしれない。
シナリオが暴力的すぎる。

「だからもっとイイコトn…」

「外野が賑やかだな…。このような生物兵器開発事業が始まったのは、人々が自分の手で育てた子どもを、軍へ差し出すことを拒んだためだった」

「至極真っ当な理由だな。ナットク」

「国防に軍務は必要不可欠とした政府は、まず兵役の義務化を提示し、妥協策としてインターネット上で受精卵提供を暗示し、その後兵役の義務化案を撤回した」

「策士~」

そんな話は聴いたことがないが、国や軍への辛口の批判は高齢者ウケが悪い。
これはやはり番組撮影ではないようだ。

「こうした経緯があり、生物兵器開発事業は国民の暗黙の了解のもとに、存在しない扱いとなっている」

「黙ってないといけないのか。そりゃツライ」

「大切な自分の子どもを護るための、苦肉の策というわけだ」

「まぁ、背に腹は代えられないよね」

「つまり、子どもを護る母と、受精卵を譲り渡す母は、同じ母なのだ」

「シャレた言い回しネ」

「十四歳になると、肩甲骨の間に『01a0908』の刻印が印字された」

「ありがち」

「この部位は汗などの分泌がさかんで、夏に屋外作業などをしていると痒みを生じることがある」

「インクが体質に合わなかったか」

「刻印時に受けた外傷が完治していても、不思議と虫にでも刺されたような刺激を感じる」

「ヤダね、背中に虫とか。気になる」

「基地の外へ出ることなく、十五歳まで一般の義務教育と第二外国語を学習し、他の時間は基地内の工場で労働に従事する」

「十五歳で?苦労人だねアンタ」

「戦闘用に訓練された児童らにとって、歴史に刻まれた蠅人類の歩みや、芸術や文学作品といった教材が、直接心に訴えるものはない」

「普通の子どもでも小難しくて実感わかないよ」

「軟弱な外部世界の因習と感傷を学び、人間の弱点を知るための学習だ」

「あんまり考えすぎない方がいいよ、そのうち親切なヤツもいるって」

「時々変わり種が紛れており、純粋培養の兵士として育ったにも関わらず、競争と戦略を身に着けない者がいた」

「言い換えると純朴なタイプ」

「このような者は『落伍者』と呼ばれ、兵舎で集団私刑の継続によって覚醒しなければ、暴力の末に淘汰された」

「…ん?さりげなくオブラートに包んだよね、今」

「男女の兵舎は出生時から分けられており、異性に興味を持つ機会はなかった」

「わあ、それつまらん」

「性徴期を迎えると、度重ね断食訓練・睡眠制限を受けた後、食肉工場に配属される」

「苛酷~」

「解体される家畜が苦しまないよう、電撃によって失神させる役目があり、このポジションには他と違い教官がいない」

「結構、難しそうだけどね」

「研修生は家畜のどこにスタンガンを当てるべきか知らず、経験によって自らコツを編み出す必要がある」

「家畜って牛とか?」

「どの研修生も三年とは従事しないが、性的サディズムを身に着け配置換えとなった」

「…人生終わったな」

「高等教育の大半は軍事訓練で、炎天下、氷点下、あらゆる天候で、歩くのと同じだけ泳ぎ続け、走り続けられるよう訓練し、銃火器や化学物質を扱う実習を繰り返す」

「大変なんだな、兵士って」

「こうして十八歳までの課程を修了すると、実際の任地に赴く」

「ああ、とうとう本番か」

「生まれて初めて基地から出る」

「門出だね~」

「これだけ訓練を重ねても、私は実社会へ出るのが恐ろしかった」

「意外とシャイ」

「研修所には一般人の暮らしを知るための視聴覚教材が揃っていたが、まるで道糸の先の釣り餌のような心地だった」

「食うより食われるのかよ。兵士だろ」

「任地はコロニー西部の紛争地で、任務はテロを未然に鎮圧する潜入工作だ」

「ああ、西部。揉めてるよね」

「潜伏工作では一般人に紛れ友好的に振舞う必要があるが、私はそれまで友好的な蠅を直に見たことがなかった」

「ホント、陰気な人間関係」

「気軽に握手を求め、常に口元に笑みを浮かべて、何かというとお礼を言う人々は、人形芝居のように薄気味悪かった」

「それぇ、既に人間不信でしょう」

生物兵器開発事業が存在しない建前上、任務は極秘裏に進めなければならない」

「そうそう、極秘だった」

「テロ鎮圧に効果的で足の付かない潜入方法を模索するには、現地の状況や対象人物の特徴を元に、工作のストーリーを描く」

「書けるんだ?登録しちゃいなよ、エブリスタ」

「テロを鎮圧するのが目的であり、首謀者の生死を含め手段は問われない」

「外は案外、自由度高い」

「任務が成功すれば、兵士は政府の生存保障措置を受けることができる」

「だとしても、コロすのはやだなぁ」

「『足が付く』とは、例えば機密対策が遅れ報道が先行し、人相や身体的特徴が世間に知れ渡ってしまった場合や、あるいは負傷や疾病によって障害が残り、以後の潜伏活動に支障が出るような結果になることだ」

「だから、それ普通に人生終了フラグ」

「結果が思わしくなく基地に強制送還される者もいるが、大半は一般社会に再び潜伏し、基地に帰還するのは定例会の時だけだ」

「放し飼いね」

「労働により自立生活を営む傍ら、次の指令に待機する」

「え…隣の住人かもじゃない?」

「だが、軍務から逃れることはできない」

「もはや社畜だな」

「胎児期から兵士として育てられた者は、一般人として生活する能力、すなわち『社会性』を生来具えていないとされている」

「そうは見えないけど~」

「軍務を遂行できなくなると、研究材料か臓器素材として医療部門の管下に置かれるか、殺処分となる」

「保健所かよ」


男は項垂れて、左手をそっと自分の頬にあてた。
短い沈黙があり、旅客機が千切れた雲に紛れて翼を鳴らしていく。
声は不意に、自分に言い聞かせるような調子へと落ちていった。

「記憶は神経細胞にある」

「…」

「体液の循環が停止した死後の肉体では、記憶は動作しない」

「待って、記憶って何?」

「例えばPCは、電気を供給されると媒体を読み込み、記憶を再生する」

「鬱になってきた」

「死後の肉体に電気を供給すれば、記憶は再生されるだろうか」

「ないでしょう」

「細胞内にはエネルギーが貯蔵されており、体液の供給が止まると、内蔵エネルギーに切り替え運転を始めるそうだ」

「…あんた、殺処分なの?」

「それが尽きると細胞は死に、記憶は復帰できなくなる」

話し終えると、男は怪訝な顔で、バルコニーの柵に頬杖をついている廉徒を仰ぎ見た。

頭部で隠れていて見えなかった右手には、携帯電話。
それをゆっくりと胸ポケットにしまい、すました顔で歩き去った。

『あいつ、なんで道端で、家の中まで聞こえる声であんな話を…。俺に話してるのかと思ったじゃない』
廉徒は居た堪れない気持ちで部屋へ戻る。

『まったく、新手の変態かしら』

PC前に座り、『01a0908』とインターネットに入力して検索をかけた。
その途端、無数の警告窓が雪崩のように開きだす。
遂には処理がフリーズした。
復帰のためのあらゆるショートカットキーを試すが、ウンともスンとも言わない。

『01a0908』なんて、放っておけば良かったのだ。
好調な書き出しだった期待の新作脚本が一編、永遠に闇に葬られた。

 

 

寝落ち学会茶渋屋自治区短編部門 kawara_tei著